序章:なぜ自分は、ひきこもりなのか

ーなぜ自分は、ひきこもりなのか?ー
家に籠ることは「自分らしい過ごし方」だと思っていた
家にいることが、好きだったんです。 漫画、アニメ、ゲーム、YOUTUBE、ネットサーフィン。好きなものに囲まれて、ひとり気ままに過ごす時間。それはもう、自分にとっての「幸せのかたち」でした。
朝起きて、なんとなく動画を見て、気づけば夜になってる。そんな一日が、何日も続いていく。それでも、「これって悪いことなのかな?」なんて考えたこともありませんでした。だって楽しかったし、落ち着けたし、自分らしかったから。
むしろ最近は、「休日は家にこもってます」って芸能人が普通に言う時代。ネットがあれば、家の中で何でもできるし、誰とも話さなくても、世界とつながれるような気がしてしまう。
ニコニコ動画の時代から、YOUTUBE、Instagram、TikTok、X……次々と生まれるSNSたちが、情報も娯楽も、すべて家の中に運んできた。
「出かけるのが好きな人」もいれば、「家にいるのが落ち着く人」もいる。だったら、自分は後者なだけで、別に変じゃない。そう思っていたんです。
……でも。
当時の自分にとっての“現実”は、そんなに割り切れたものじゃありませんでした。
「ひきこもり」に対する目が今より厳しかった時代に
ニコニコ動画全盛期の頃、自分は家にいた
自分がひきこもっていた頃は、今よりずっと、「外に出てなんぼ」「人と関わるのが普通」という空気が強かったように思います。
家にいる=悪いこと、というわけではないけれど、「社会に出ていない=何か問題がある人」と思われやすい時代でした。
だからこそ、家で過ごしている自分にも、いつもどこかで視線を感じていました。「変わってるな」「あの人、大丈夫なのかな」そんなふうに思われている気がして。
もちろん、誰かに直接言われたわけではありません。でも、自分自身がいちばん、自分を責めていた気がします。「このままでいいのかな?」って。
楽しんでいるはずの時間の奥で、どこかにうしろめたさがあったんです。
世の中は変わっても、心の孤独は変わらない
自分が不登校になった当時、SNSはまだ存在していませんでした。
つまり、家にいながら人とつながる手段が、あまりなかったんです。
今は違います。SNSを開けば、誰かの近況がすぐに届くし、家にいても世界とつながれる。情報も、会話も、画面越しに手に入る。だからこそ、「家にいても孤独じゃない」と言われる時代になったのかもしれません。
……でも、正直に言うと、自分にはその流れに乗れていない感覚がずっとあります。
たとえば、旅行に行った写真を投稿する人。 ショッピングに出かけて楽しそうな人。 スポーツや趣味を楽しんで、汗を流している人。
そういう人たちの方が、「幸福を感じやすい仕組み」の中にいるように見えるんです。
あの日、学校に行かなくなった
高校1年で不登校に
自分が最初に「外の世界」から離れたのは、高校1年生のときでした。
中学校からの友人がほとんどいない高校に入学して、周囲に馴染めなかったんです。
教室にいるだけで、心がどんよりと重くなって、朝起きるのさえしんどくなっていく。
それでも、「行かなきゃ」と思ってしばらくは頑張っていたけれど……
ある日、ふと限界がきてしまいました。
その日から、自分は学校に行けなくなりました。
もがいていた時間、繰り返すチャレンジと後退
何もしていなかったわけじゃないんです。ほんとうに、いろいろ試してはいたんです。
父にすすめられて、都会に住む姉の家で暮らしてみたり。 通信制の高校に通ってみたり。 アルバイトに挑戦してみたり。
でも、それは「自分がやりたいから」というよりも、「誰かに言われたからやってみた」ことばかりだったように思います。
結果的に、どれも長くは続かず、また家に戻ってきてしまう。
「やっぱりだめだったなあ」と思いながら、2〜3年は家にいて、ほとんど何もせずに過ごす時間が続きました。
当時の自分は、それを「もがいていた」とは思っていませんでした。でも今振り返ると、心のどこかで「何かを変えたい」と、ずっと思っていたような気がします。
診断と気づき ―「自分だけじゃない」と思えた瞬間
そんな生活の中で、自分は「発達障害」と「心身症」と診断されました。
診断された当初は、正直あまり気にしていませんでした。
だって、説明に書かれていた症状は、誰にでも当てはまりそうなものばかりで。「これって、自分だけの問題なのかな?」って思ってしまったんです。
でも、時間が経つにつれて、その診断名が、自分の感じていた“生きづらさ”を少しずつ言葉にしてくれている気がしてきました。
「なんで、こんなにしんどかったんだろう?」という問いに、少しだけ答えが見つかった気がしたんです。
そしてもう一つ。
自分と同じように、学校や職場でうまく馴染めずに苦しんでいる人が、世の中にはたくさんいるということも知りました。
「自分だけじゃなかったんだ」
そう思えた瞬間、ほんの少しだけ、心が軽くなった気がしました。
異常なしと言われても、苦しさは消えなかった
そんな折、身体にも変化が出始めました。
昼夜逆転の生活が続いて、体重も増えて、なんだか常にだるい。
そしてある日、喉が爆発するような感覚に襲われて、救急に駆け込んだことがあります。
息がうまく吸えなくて、「このまま死んでしまうかもしれない」と、本気で思いました。
22歳のとき、タバコも吸っていたので、それが原因かなとも思いました。検査もいろいろ受けました。でも、どれも「異常なし」。
最終的に言われたのは、「精神的なものですね」という診断でした。
あのとき感じた喉の違和感は、今も38歳の自分の身体に、うっすらと残っています。
この経験を、誰かの助けに変えたい
ふと、思うことがあります。
もし、あの日、学校をやめずに通い続けていたら——
ちゃんと高校を卒業して、大学に行って、就職して、結婚して、子どもができて……そんな「普通の人生」を送っていたのかもしれない。
でも、もしそうだったら、今の自分はいなかったと思います。
ひきこもっていた時間、何もできなかった日々、たくさんの悩みと、行き止まりと、くり返す後退。
それでも、あの経験があったからこそ、今の自分の考え方や感じ方が育まれた。
あの時間が、自分の「思考の基礎」をつくってくれた気がするんです。
そして今、自分は調理師として働いています。
もちろん、ここに来るまでには、たくさんの葛藤や苦しみもありました。
でもだからこそ、心の底から思えるようになりました。
「あのとき、ひきこもっていた時間にも、意味はあったんだ」と。
もしも、あの頃の自分と同じように、今まさに悩んでいる人がいるなら。
この連載を通じて、そんな誰かに「自分だけじゃない」と伝えたい。
過去の自分に宛てるような気持ちで、これからも、等身大の言葉を綴っていきたいと思います。
▶【目次】はこちら→ 元ひきこもりの歩き方|社会復帰ノート
▶【第1話】はこちら→学校で“みんなと同じ”が、できなかった