第5話:あの上京は、何のためだったんだろう

ー第2章:ひきこもり生活のリアルー
姉のもとへ、逃げるように向かった日々
父の勧めで、姉のもとへ
逃げるように姉が住んでいた都会に行ったのが16~7歳の頃、確か高校をやめて間もない頃だったと思います。
父からの勧めがあり、行くことになりました。姉がどう思っていたかは、現在もわかりません。了承したということは、少なくとも住むことは了承していたんだと思いますが…
初めての都会暮らしに戸惑う
行ってびっくりしたのは、やはり人の数。東京もそうでしたが、その周辺でも田舎なんかとは比べ物にならないほど人が多くて、気持ち悪くなりました。
自分が住むことになったのは、川崎市でした。遠い記憶ではありますが、人生で初めて都会に住んだ経験なので、結構覚えています。
歩いていたら道を尋ねられて訛りが出て、姉に指摘され恥ずかしくなったこと、自分の家から駅までの道、駅の近くで路上ライブするパフォーマーの人たちがいたこと。なんとなく覚えてます。
バイト面接で突きつけられた現実
「都会で変われるかも」という期待
目的としては、都会で暮らしてみたら何か変わるんじゃないかと言われたことです。
都会に言った理由がそこで働くという目的が一応ありました。ただ自分から行きたいとは思わないと思うのできっと父からバイトしろと言われたんだと思います。
面接で浴びた厳しい言葉
飲食店のバイトの面接に頑張っていったんですよね。、面接時に学生ぽい人がお店に入って通りすぎたのも覚えてます。
そのバイトの面接に行った時に面接官に言われたことを、20年経った今も覚えていて。
バイト経験がない、上京してきた、そんなことを一通り回答していったところで、働くことについて脅されました。
「働くってそんな簡単な事じゃない、あなたに責任もって仕事をすることができますか?」
面接を担当した人は自分を見て、弱々しかった自分にバイトも出来ないように感じ取ったのかもしれません。結構強い口調で言われました。
その後の選択とひきこもり生活
働いたことすらない自分は委縮してしまい、気が動転しました。その後のことはあまり覚えてません。
その後は、ご想像通りといいますか、家にひきこもるようになりました。
お店側としては、バイトであってもちゃんと働いてくれる人を雇いたいはずですから、すぐにやめそうな人を雇用する判断はしませんからね。
姉の家での居候生活と、心のよりどころ
家にこもる日々
それからの生活は、酷かったです。
姉の家に居候してるような形でしたが、ほぼ家にいてテレビを見てるか、ゲームをしてるか、当時はなぜか筋トレにはまっていて、体を鍛えるかのどれかをする生活でした。
テレビは、田舎では見れなかった番組が見れて楽しかったのを覚えています。深夜アニメとかよく見てました。
姉に彼氏がいたんですが、その人がご飯を作ってくれたり、自分が料理をするという考えも浮かばなく、甘えることしかできませんでした。
父の言葉で、帰郷を決意
そんな中、父から連絡があり、戻って来いと言われました。きっと、姉から現状を聞いていて連絡してきたんだと思います。
自分の都会生活は、半年もたたずに終わりを迎えました。
今も心に残る、あのときの自分
あの生活のことは、今も覚えていますが、姉にすごく迷惑をかけていたと思います。
生活費などは親からもらっていたのかもしれませんが、なんの役にも立たない同居人だったでしょう。
ずっと聞いていた曲が心の支えになって、その時は日々過ごしていました。
◀【目次】はこちら→ 元ひきこもりの歩き方|社会復帰ノート
◀【第4話】はこちら→他人の目が、いつも刺さるように感じていた
▶【第6話】はこちら→“学校に戻る”って、こういう形もある、でも
